素敵な里親さんが見付かるまで、武蔵野のとある家に下宿する動物たちのお話。
ひとつの決意
2006年08月24日 (木) | 編集 |
決意、という大それたものではありませんが、最近になって決めたことがあります。
それは、

「今後はもう動物をペットショップでは買わない」

ということです。

だから、もうフェレットもペットショップでは買わないでしょう。
よほどのことがない限り。
(たとえば、ペットショップで処分されそうだった、などの場合を除いて)

わたしは今後は、お金で買った命ではなく、たとえば捨てられたペット、迷子になって帰る家を失ったペットの命をお世話しようと決めました。
こう決めたことに特に深い理由はないのですが、最近ペットショップで見世物として陳列された動物を”買う”ことに後ろめたさを感じていたのです。
何か間違っているのではないか、という違和感。
アトムを亡くして、この後ろめたさ・違和感は確信に変わりました。

これはもちろん、ペットショップで動物を買う人を責める考えではありません。わたしだって今まではフェレットをペットショップから迎えていましたから。
単に、今後わたしはこうしたいと思う、という考えを書いているだけです。

犬、ネコはもちろんですが、最近はフェレットも捨てられるケースが多いと聞きます。
ですので、次に迎えるフェレット(あるいは、犬、ネコ)がいるとすれば、里子ということになると思います。

どんな命に出会えるのか、楽しみです。


ときどき思い出すのです
2006年08月24日 (木) | 編集 |
新しい家にはアトムとの思い出がなく、アトムは東側の出窓に静かに佇んでいるけれど、なんだか心の拠り所がありません。
アトムは、もういないのか。
でも、今の家のわたしの部屋から見える、青い空と木々の緑と調布飛行場の小型飛行機をぼんやりと眺めていると、ふいに前の家と、そこにいたアトムのことを思い出します。

アトムとは色んなところに行きました。
アトムとは阿蘇山にも行ったし、耶馬溪にも行って川で遊んだりしました。キリンビール園のコスモス花畑をずっと歩いたし、大きな公園にも遊びに行った。
まるで犬みたいに散歩ができるアトムとは、外に行くのが楽しかった。

アトムは痛みも苦しみもない世界にいったけれど、それは楽しみもない世界。好きだったジャーキーももう食べられない世界。
そんな世界に送ってしまったのはわたし。
ただ今は時間だけが過ぎていく。