2006年08月09日 (水) | 編集 |
アトムが亡くなり何日か経って、ようやくわたしも落ち着きを取り戻しつつあります。
アトムに会いに来て下さったり、お花を贈ってくださったり、わたしの食事をもってきて下さったり、温かい言葉をかけて下さったり。
皆さん本当にありがとうございました。
皆さんがいてくれて、わたしはだいぶ救われました。
アトムのことです。
アトムは3つ目の動物病院で亡くなりました。
異変に気がついたのは、6月の中旬頃。
何度か嘔吐がありました。
1つ目の病院は家の近く(と言ってもタクシーで往復4000円近くしますが)にあり、この病院には何度も行きました。
そこでは、
「胃炎です、吐き気止めを与えてください」
と、大量の薬を貰うだけでした。
ここでは、血液(白血病を疑って)と脾臓を調べ、この二つに問題がないのだから、もう胃しかないとの結論でした。
わたしは「本当に胃だけだろうか?」と疑問を持ちましたが、しばらくはこの病院で診てもらうことにしました。
1ヶ月ほど経っても、アトムの嘔吐は止まりませんでした。
薬を飲ませても吐くこともあり、また、飲ませなくても吐かないこともありました。
そのことを伝えても
「吐き気止めとエサのやり方ですね(そのときはもう、ふやかしフードをあげていました)」
とまた大量の薬を貰うのみ。
7月末には、嘔吐が止まりました。それは薬が効いたからではなく(飲んでも吐くので、飲ませていなかった)、もうこの頃には自力でエサを食べることもせず、おかゆ状にしたエサをシリンジで強制給餌していたからです。
胃が疲れ果て、吐く力もなかったのかもしれません。
さすがにわたしも「おかしい」と思い、セカンド・オピニオンのために小金井にある病院に行きました。
そこは次に住む家の近くにあり、フェレットも診られるという病院だったからです。
アトムはそこで、お腹を触られて少しバタバタと動きました。
「これだけ元気なら、強制給餌と水の補給で様子を見てください」
そう言われました。
わたしも
「まだアトムは大丈夫なんだ」
そう思いました。
エコー検査もしてもらいましたが、異常はありませんでした。
2つ目の病院に行った2日後、アトムは急変しました。
8/3の午前1時頃、アトムは少し苦しそうに体をカクカクさせて呼吸していました。
苦しそうにする少し前に、トイレに行けずにお漏らしをしました。
苦しそうにしてからは、瞳孔が開いていました。
少し様子を見ても好転しません。意識が薄らいでいるようでした。
「これは大変だ!」
そう思い、夜中の2時半に三鷹にある病院に行きました。
病院に向かうタクシーの中で、アトムは尻尾を膨らませました。
きっと死ぬのが怖かったのでしょう。
わたしも怖かった。
アトムの体をなでると、少し尻尾は落ち着きました。
タクシーの中で少し意識を取り戻し、差し出された手に反応していました。これが意識のあった最後だと思われます。
病院に着いてすぐに診察。
「危険な状態です」
アトムは酸素室に入れられ、ショック状態を緩和する注射をしました。
今夜は一度帰って翌日にまた病院に来て欲しいとのことで、入院の手続きをして、3時に一度帰宅しました。
病院から電話がかかってきたのは、朝4時半でした。
「アトムが5分ほど前に亡くなりました」
あっというまでした。
また5時に病院に行きました。
もう硬くなってしまっていたアトム。
レントゲンとエコー検査の結果を聞きました。
耳を疑いました。
レントゲンでは、肺に影があり、それが腫瘍かなにかはわからないけれど肺全体が汚れているとのことでした。
肺はおそらく機能しておらず、酸素が取り込めなかったそうです。
危ない状態になったとき、気管切開で呼吸をさせる方法もあったそうですが、肺がこのような状態なので気管切開をしても意味はなく、先生の判断で気管切開はしませんでした。
酸素が取り込めない肺であったため、亡くなってすぐに硬直が始まりました。
また、エコーでは左の副腎が1cmくらいにまで腫れていました。
エコーは2日前にも検査したのに。
1日と少しで、こんなに腫れるなんてことがありうるのだろうか。
信じられない。
レントゲンだって3週間前に撮ったときは、何も言われなかったのに。
アトムは、7月に膀胱炎にもなっており(薬で治癒したのですが)、結局、肺、胃、膀胱、副腎、と色んな内臓が異常な状態になっていたのだと思います。
結局、どんな病気だったのかまったくわからず、原因不明のままアトムは亡くなってしまった。
わたしはどうしてもっと早く行動しなかったのだろう?
1つ目の病院で疑問を感じたときに、なぜすぐに2つ目、3つ目の病院に行かなかったのだろう?
アトムは今までだって病気をしても元気になったし、体も大きいから体力もある・・・そうやってアトムの生きる力に甘え、自分をごまかし、アトムの「苦しい!」というサインを見逃していたのだ。
その結果、こうなった。
最期の瞬間だって、一緒にいることができなかった。
できれば抱いて、なでて、「大丈夫、怖くないよ」と声を掛けながら息を引き取らせたかった。
でもそれは叶わなかった。
怠慢なわたしへの、罰であろうと思う。
今はもう、すべてが終わりました。
アトムはお骨になり、もう痛いことも、気持ち悪いことも、痒くても掻けないことも、もうありません。
それが、それだけが、わたしにとっての救いです。
”アトムが教えてくれたこと”
◆ セカンド・オピニオンを受ける
セカンド(あるいは3つ目、4つ目と)オピニオンを受けることは最初の医者への不信ではなく、原因不明の病気が多いフェレットの飼い主の義務であること。できるだけ多くの医者に診て貰えば、助かる可能性も高まるかもしれない。
◆ お金をかける
品のない話かもしれませんが、アトムにはだいぶお金がかかりました。
タクシーで病院を往復し、ちょっと検査をし、薬をもらうと、大体1万円くらいかかりました。
病院に行った次の日にアトムが吐いても、わたしは病院に行かないこともありました。
「吐き気止めの薬もあげたし、昨日も病院に行ったし、行ってもどうしようもないだろう」
そう思ったからです。
正直、「毎日1万円ずつかかるのは大変だ」という思いもありました。
お金がなかったわけではありません。
アトムの治療ができるくらいのお金はありました。
アトムが亡くなって、初めて「アトムが生きてくれるならば、100万円かかってもいい」と思いました。
亡くなって、初めてそう思ったのです。
もちろん何を言ってももう遅いのですが。
わたしが言いたいのは、ただお金をかけるということではなく、もっと適した治療を十分にさせたかった、ということです。そのためには、病院をいくつか回ることも必要でしょう、検査も何度もするかもしれません。
そのための治療費を、わたしは払っただろうか?いえ、払っていません。
払っていたら、もう少し良い結果があっただろうと思うのです。
◆ 後悔しないように
朝5時にアトムが吐いて、世話をしてから寝ることがありました。
そして朝8時にアトムが「出してくれ!」とケージを齧るのです。
3時間しか眠っていないわたしは、眠たくてアトムを無視しました。
わたしは、アトムの「気持ち悪い!苦しい!」というサインを無視したのです。
そんなことが何度かありました。
こんなことは言うべきではないのですが、わたしはアトムを無視したことを後悔しています。
飼い主が倒れるまで世話をするべき、とはまったく思いませんが(本末転倒ですから)、わたしにはまだ余力が十分ありました。
それなのに、わたしは無視しました。
アトムが亡くなってから、「もっと触れていたかった、一緒にいたかった」などと思うのです。
本当に身勝手です。
自分が嫌になります。
泣いたり、悲しくなる資格なんて、わたしには本当はないのです。
十分な世話もできなかったのだから。
わたしはアトムが亡くなって、これらのことを反省しました。
わたしにはまだ3匹のフェレットがいます。
今のところ元気すぎるくらいに元気な3匹ですが、何年か経ったらまた同じような状況(死を迎える)があるでしょう。
そのときにはきっとアトムのことを思い出して、もう少し適切なお世話ができるでしょう。できなければいけません。
今度は、苦しませないように、痛くないように、優しい穏やかな気持ちで息を引き取れるように、最期まで一緒にいられるようにしたいです。
その時がくるまでは、みんなずっと元気でわたしの側にいてくれることを願っています。
アトムはわたしにとって、世界で一番可愛いフェレットでした。
たとえわたしが飼い主でなくても、そうだったと思います。
本当に可愛かった。
救えなくてごめんね。
でも、うちに来てくれてありがとうね。
アトムがこの世界にいたこと、わたしの側にいてくれたこと、そしてアトムが教えてくれたことは、忘れません。
またアトムと会えることを強く願うよ。
ありがとう。
アトムに会いに来て下さったり、お花を贈ってくださったり、わたしの食事をもってきて下さったり、温かい言葉をかけて下さったり。
皆さん本当にありがとうございました。
皆さんがいてくれて、わたしはだいぶ救われました。
アトムのことです。
アトムは3つ目の動物病院で亡くなりました。
異変に気がついたのは、6月の中旬頃。
何度か嘔吐がありました。
1つ目の病院は家の近く(と言ってもタクシーで往復4000円近くしますが)にあり、この病院には何度も行きました。
そこでは、
「胃炎です、吐き気止めを与えてください」
と、大量の薬を貰うだけでした。
ここでは、血液(白血病を疑って)と脾臓を調べ、この二つに問題がないのだから、もう胃しかないとの結論でした。
わたしは「本当に胃だけだろうか?」と疑問を持ちましたが、しばらくはこの病院で診てもらうことにしました。
1ヶ月ほど経っても、アトムの嘔吐は止まりませんでした。
薬を飲ませても吐くこともあり、また、飲ませなくても吐かないこともありました。
そのことを伝えても
「吐き気止めとエサのやり方ですね(そのときはもう、ふやかしフードをあげていました)」
とまた大量の薬を貰うのみ。
7月末には、嘔吐が止まりました。それは薬が効いたからではなく(飲んでも吐くので、飲ませていなかった)、もうこの頃には自力でエサを食べることもせず、おかゆ状にしたエサをシリンジで強制給餌していたからです。
胃が疲れ果て、吐く力もなかったのかもしれません。
さすがにわたしも「おかしい」と思い、セカンド・オピニオンのために小金井にある病院に行きました。
そこは次に住む家の近くにあり、フェレットも診られるという病院だったからです。
アトムはそこで、お腹を触られて少しバタバタと動きました。
「これだけ元気なら、強制給餌と水の補給で様子を見てください」
そう言われました。
わたしも
「まだアトムは大丈夫なんだ」
そう思いました。
エコー検査もしてもらいましたが、異常はありませんでした。
2つ目の病院に行った2日後、アトムは急変しました。
8/3の午前1時頃、アトムは少し苦しそうに体をカクカクさせて呼吸していました。
苦しそうにする少し前に、トイレに行けずにお漏らしをしました。
苦しそうにしてからは、瞳孔が開いていました。
少し様子を見ても好転しません。意識が薄らいでいるようでした。
「これは大変だ!」
そう思い、夜中の2時半に三鷹にある病院に行きました。
病院に向かうタクシーの中で、アトムは尻尾を膨らませました。
きっと死ぬのが怖かったのでしょう。
わたしも怖かった。
アトムの体をなでると、少し尻尾は落ち着きました。
タクシーの中で少し意識を取り戻し、差し出された手に反応していました。これが意識のあった最後だと思われます。
病院に着いてすぐに診察。
「危険な状態です」
アトムは酸素室に入れられ、ショック状態を緩和する注射をしました。
今夜は一度帰って翌日にまた病院に来て欲しいとのことで、入院の手続きをして、3時に一度帰宅しました。
病院から電話がかかってきたのは、朝4時半でした。
「アトムが5分ほど前に亡くなりました」
あっというまでした。
また5時に病院に行きました。
もう硬くなってしまっていたアトム。
レントゲンとエコー検査の結果を聞きました。
耳を疑いました。
レントゲンでは、肺に影があり、それが腫瘍かなにかはわからないけれど肺全体が汚れているとのことでした。
肺はおそらく機能しておらず、酸素が取り込めなかったそうです。
危ない状態になったとき、気管切開で呼吸をさせる方法もあったそうですが、肺がこのような状態なので気管切開をしても意味はなく、先生の判断で気管切開はしませんでした。
酸素が取り込めない肺であったため、亡くなってすぐに硬直が始まりました。
また、エコーでは左の副腎が1cmくらいにまで腫れていました。
エコーは2日前にも検査したのに。
1日と少しで、こんなに腫れるなんてことがありうるのだろうか。
信じられない。
レントゲンだって3週間前に撮ったときは、何も言われなかったのに。
アトムは、7月に膀胱炎にもなっており(薬で治癒したのですが)、結局、肺、胃、膀胱、副腎、と色んな内臓が異常な状態になっていたのだと思います。
結局、どんな病気だったのかまったくわからず、原因不明のままアトムは亡くなってしまった。
わたしはどうしてもっと早く行動しなかったのだろう?
1つ目の病院で疑問を感じたときに、なぜすぐに2つ目、3つ目の病院に行かなかったのだろう?
アトムは今までだって病気をしても元気になったし、体も大きいから体力もある・・・そうやってアトムの生きる力に甘え、自分をごまかし、アトムの「苦しい!」というサインを見逃していたのだ。
その結果、こうなった。
最期の瞬間だって、一緒にいることができなかった。
できれば抱いて、なでて、「大丈夫、怖くないよ」と声を掛けながら息を引き取らせたかった。
でもそれは叶わなかった。
怠慢なわたしへの、罰であろうと思う。
今はもう、すべてが終わりました。
アトムはお骨になり、もう痛いことも、気持ち悪いことも、痒くても掻けないことも、もうありません。
それが、それだけが、わたしにとっての救いです。
”アトムが教えてくれたこと”
◆ セカンド・オピニオンを受ける
セカンド(あるいは3つ目、4つ目と)オピニオンを受けることは最初の医者への不信ではなく、原因不明の病気が多いフェレットの飼い主の義務であること。できるだけ多くの医者に診て貰えば、助かる可能性も高まるかもしれない。
◆ お金をかける
品のない話かもしれませんが、アトムにはだいぶお金がかかりました。
タクシーで病院を往復し、ちょっと検査をし、薬をもらうと、大体1万円くらいかかりました。
病院に行った次の日にアトムが吐いても、わたしは病院に行かないこともありました。
「吐き気止めの薬もあげたし、昨日も病院に行ったし、行ってもどうしようもないだろう」
そう思ったからです。
正直、「毎日1万円ずつかかるのは大変だ」という思いもありました。
お金がなかったわけではありません。
アトムの治療ができるくらいのお金はありました。
アトムが亡くなって、初めて「アトムが生きてくれるならば、100万円かかってもいい」と思いました。
亡くなって、初めてそう思ったのです。
もちろん何を言ってももう遅いのですが。
わたしが言いたいのは、ただお金をかけるということではなく、もっと適した治療を十分にさせたかった、ということです。そのためには、病院をいくつか回ることも必要でしょう、検査も何度もするかもしれません。
そのための治療費を、わたしは払っただろうか?いえ、払っていません。
払っていたら、もう少し良い結果があっただろうと思うのです。
◆ 後悔しないように
朝5時にアトムが吐いて、世話をしてから寝ることがありました。
そして朝8時にアトムが「出してくれ!」とケージを齧るのです。
3時間しか眠っていないわたしは、眠たくてアトムを無視しました。
わたしは、アトムの「気持ち悪い!苦しい!」というサインを無視したのです。
そんなことが何度かありました。
こんなことは言うべきではないのですが、わたしはアトムを無視したことを後悔しています。
飼い主が倒れるまで世話をするべき、とはまったく思いませんが(本末転倒ですから)、わたしにはまだ余力が十分ありました。
それなのに、わたしは無視しました。
アトムが亡くなってから、「もっと触れていたかった、一緒にいたかった」などと思うのです。
本当に身勝手です。
自分が嫌になります。
泣いたり、悲しくなる資格なんて、わたしには本当はないのです。
十分な世話もできなかったのだから。
わたしはアトムが亡くなって、これらのことを反省しました。
わたしにはまだ3匹のフェレットがいます。
今のところ元気すぎるくらいに元気な3匹ですが、何年か経ったらまた同じような状況(死を迎える)があるでしょう。
そのときにはきっとアトムのことを思い出して、もう少し適切なお世話ができるでしょう。できなければいけません。
今度は、苦しませないように、痛くないように、優しい穏やかな気持ちで息を引き取れるように、最期まで一緒にいられるようにしたいです。
その時がくるまでは、みんなずっと元気でわたしの側にいてくれることを願っています。
アトムはわたしにとって、世界で一番可愛いフェレットでした。
たとえわたしが飼い主でなくても、そうだったと思います。
本当に可愛かった。
救えなくてごめんね。
でも、うちに来てくれてありがとうね。
アトムがこの世界にいたこと、わたしの側にいてくれたこと、そしてアトムが教えてくれたことは、忘れません。
またアトムと会えることを強く願うよ。
ありがとう。
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